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POST:井坪 寿晴 2022.10.07
道
皆さんこんにちは、社長の井坪です。
スマートに夏から秋への衣替えができず…少し早すぎた厚着で汗をかき、季節感のない薄着で密かに凍えている向上しない秋を今年も過ごしています。
さて皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私の亡き祖母が三度の飯より楽しみにしていたのが格闘技観戦。
相撲や当時盛んに中継していたキックボクシングなどあらゆる格闘技中継を“おばあちゃん子”であった私は一緒に見ておりました。
そして中でも別格なのが“プロレス”でした。
祖母はショー要素たっぷりの流血の乱闘試合が大好きで、全日本プロレスを『馬場』と呼び新日本プロレスを『猪木』と呼んで録画までして繰り返し見ていました。
飯田に『馬場』や『猪木』が興行に来た際には必ずつけれ行ってもらい、私は場外乱闘をするヒールレスラー(タイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、上田馬之助、スタン・ハンセン)に巻き込まれないように必死で逃げていました(笑)
『馬場』のスター選手ジャンボ鶴田に触ろうと花道で待ち構えていた時は、前後を警護してくる若手レスラーに叩かれ吹っ飛んだことも…昭和あるあるでしょうか?いまだにいい思い出です!
なんやかんやでプロレスを中心に見ていたということもあってか、私の中の少年時代の最大のヒーローは【原辰徳】でも【たのきんトリオ】でもなく【燃える闘魂アントニオ猪木】でした。本来は青が好きなのに、色々に赤をチョイスしたのは【赤レンジャー】や【としちゃん(田原俊彦)】の影響ではなく、猪木が首に巻いたタオルが闘魂の赤だったからです!
そんな【アントニオ猪木】本名:猪木寛至さんが去る10月1日79歳でお亡くなりになりました。
難病を患い調子が悪いことも報道で知っていましたが、イメージが不死身の男すぎるので訃報を聞いた時は驚きました。
私の中では政治家猪木はほぼ印象になくレスラー猪木のみ。猪木氏が引退した1998年4月4日の東京ドームが有終の美として心に残っています。もう24年前の話です。
当時の猪木氏は55歳。世界チャンピオンに何回もなり、何人もの名レスラーを育て、数え切れない名勝負を繰り広げられた後でした。
自分もその歳に近づいているな〜と思いつつ、猪木氏が引退時に語られた座右の銘が頭をよぎりました。
〜《道》〜
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
〜以上〜
燃える闘魂アントニオ猪木は今も『元気ですかー!』と勇気をくれています。感謝!