journal

POST:井坪 寿晴 2021.10.22
平成の怪物との思い出
皆さんこんにちは、社長の井坪です。
寒くなりましたね〜 なんだか一気に冬がやってきた感じです。
夏から冬へ!?の急激な温度変化に戸惑うばかりの私です。
さて皆様はいかがお過ごしでしょうか。
“平成の怪物”と言われた松坂大輔投手(41)が10月19日にプロ野球を引退しました。
まだまだ41歳ですが、スポーツの世界・特にトップアスリートの世界では、もうそういう歳なんですね。
右肘の故障以降は苦労されましたが、頂点の景色をすべて見たあの大投手が、150キロ台の伸びのある無二のストレートを失っても、プライドを捨てて頑張り、もがく姿は凄く美学を感じましたし、勇気づけられました。
選手は引退されますが、次のステージでその経験を活かし更に活躍されるのではないでしょうか!期待しています。
少し振りると、その剛速球で数多の伝説を残してきた松坂投手ですが、自分にも忘れられない彼によって生まれた場面があります。
それは、甲子園決勝のノーヒットノーランでもなく、入団1年目でいきなり16勝を挙げて最多勝になったことでもなく、
ボストン・レッドソックス移籍1年目で15勝を挙げ、ワールドシリーズ制覇に貢献したことでもありません。※まだまだありますが…
それは1998年の夏の甲子園、延長17回までもつれた横浜対PL戦での彼の姿です。
今ならおそらく熱中症的な状況下で一人で投げるエースで4番。唇は水分を失い白く、右肘には無数のテーピング…イメージはあしたのジョーの力石です(※もっと古くなってしまいました)
私は、丁度昼食をとりうながら父親と観戦していました。
父『こっち(横浜高校)は、だれか違うピッチャーおらんのか…』
私『おると思うけど、チームの中心だし…変えられないんじゃないかな』
なんて会話をしていました。
そして、野球エリート軍団PL対怪物松坂の対決は怪物勝利になりました。
息を呑む熱戦!時計を見ると、13時を大きく回っていました(汗)
父『凄いな!最後は気持ち、気迫で勝ったな!』
私『…』言葉が出ませんでした。
そうなんです…父親と時間を忘れて高校野球観戦してしまったのです。
昼休みからの仕事は決まりの良い方で、たぶん30年位の井坪工務店人生で遅刻はこれとWBC決勝の2回。
親父と2人ではこれだけかな〜と思います。
今では、ひとつのいい思い出です。
私にも人生のシーンをつくってくれた松坂投手、お疲れさまでした!
そしてたくさんの感動をありがとうございました!感謝。