journal

POST:井坪 寿晴 2022.06.10
煩わしい事が育てるもの
皆さんこんにちは、社長の井坪です。
心配された天気予報が良い方に外れ、建て方も無事に進んでおります。
この時期は、熱中症にも注意しながらの外作業ですが、空と太陽にに近づく建て方では特に注意が必要なので注意して欲しいです。
さて皆様はいががお過ごしでしょうか。
先週末は家族が集まり父の13回忌をお寺様で行いました。
13回忌という事は数えで12年…結構な歳月が経っているのに、私自身は感覚的に近くで働いてる雰囲気というのか?決してスピリチアルな話ではないのですが、仕事の場では彼の魂が社員さんや協力業者さんを通して脈々と生きていますので、なんだか亡くなった感覚がない時が多々あるのです。
つまり職場での父は『魂』みたいなものでまだ生きており、喪失感をあまり感じていないのですが、家庭では朝も晩も当然食卓にも居ないわけで、母は『寂しいな〜』と繰り返していました。
そうだよな〜母は家庭での父との関わりが最も多かったわけで、その何気ない日常を過ごす一番身近な人を失ったのですから…その喪失感は半端ないんだろうな〜と思いました。
妻にとっての父、息子や娘たちにとっての父、妹にとっての父はどうなのだろう?
久しぶりにお色々な観点からの話を聞き、その顔を思い出せました。
住職からの話で、こういった故人を偲ぶような儀式は時が経つほどにだんだん煩わしい事のひとつになっていくかも知れないが、煩わしさのあるようなものを乗り越えた時、人には竹と同様の節目ができる!と言われました。
のっぺりと長く伸びても曲がってしまうような自分すら守れない弱い竹(人間)にならず、長く真っ直ぐ伸びて多くの人に役立てる節目の多いお父様のような竹になって欲しい…と言われました。
アフターコロナなのか私のまわりでも少しずつ戻り始めた日常。
やらずに済んでいた、やった方がいいことを煩わしいことにしてしまってはイケないな~と学びました。感謝!