「おかえり」と言える場所 ——帰る場所になるということ - 井坪工務店|長野県飯田市の工務店

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井坪 寿晴
代表ブログ
POST:井坪 寿晴 2026.03.20

「おかえり」と言える場所 ——帰る場所になるということ

皆さんこんにちは、社長の井坪です。

今週は、社員の年休が少し多めでした。

理由は卒業式。

「娘に泣かれちゃって…すみません」

そう言いながら、少し照れくさそうに欠勤届を差し出してきた棟梁がいました。
でも私は、こういう時こそ迷わず行くべきだと思っています。

仕事ももちろん大切です。
ただ、それ以上に、
その日にしか見られない顔、その瞬間にしか流れない涙がある。

それを見届けることは、
きっと一生に何度もあることではないからです。

私がそう思うようになったのは、
小学校でPTAに関わるようになってからでした。

何気なく見ていたはずの子どもたちの時間が、
ある日ふと、驚くほどの速さで過ぎていることに気づいたのです。

昨日までできなかったことが、今日できるようになっている。
当たり前のようにそばにいた時間が、少しずつ離れていく。

気づいたときには、
もう戻らない場所に来ている。

正直、少し恥ずかしくなりました。
「自分は、どれだけ見落としてきたのだろう」と。

今は便利な時代です。

アルバムを引っ張り出さなくても、
スマホ一つで、過去の時間に触れることができる。

私の手元には、21,773枚の写真が残っていました。

一番古い記録は、2007年11月。

その頃、妻は長男をお腹に宿し、
長女は小学生になったばかり。
次女はまだ入学前でした。

私はまだ若くて、
幼い娘たちを溺愛していて、
新築だった我が家の玄関先を“ステージ”にして、
何枚も何枚も写真を撮っていました。

やがて長男が生まれ、
お宮参りがあり、
運動会があり、
誕生日があり…。

今思えば、少し恥ずかしいくらい大きな鯉のぼりもありました(笑)。

写真の中の私は、
今よりずっと余裕がなくて、でも、どこか楽しそうで。

振り返ってみると、
そこに写っているのは、
特別な出来事ではなく、
何気ない日常の積み重ねばかりでした。

長女が生まれて、
初めてその小さな体を腕に抱いたとき。

「この子のために頑張らないと」

そんなふうに、少し力んだことを覚えています。

けれど

それ以来、私は一度も
「子どものために」と思って
生きてきたことはなかった気がします。

なぜなら、
彼らは私にとって“守るべき存在”というよりも、
人生を照らしてくれる光そのものだったからです。

重荷ではなく、
責任でもなく、
ただ、そこにあるだけで
自分を前に進ませてくれる存在でした。

だから最近、子どもたちにこう伝えました。

——松本で長男と過ごした夜のことです。

「俺は、お前たちの犠牲になんてなっていない。
だからお前たちは、お前たちで
楽しく、真剣に生きろ。」

父親になって27年。
ようやく言葉にできた、私なりの想いです。

ちゃんと届いているかは、分かりません。
でも、きっといいんだと思います。

大事なことは、
言葉よりも、
その人の生き方の中に残るものだから。

そう考えると、
自分の子どもの頃の記憶も、
どこか似ている気がします。

保育園に行くのが嫌だったこと。
小学校で歌う歌が、なぜか泣きそうで嫌だったこと。

中学・高校ではヤンチャばかりで、
卒業式の校門でも別れを惜しまず、
そのまま遊びに行ってしまったこと(笑)。

思い出すのは、
そんな自分らしい場面ばかりです。

でも今なら分かります。

そのすべての時間の後ろに、
いつも両親がいたことを。

何を言われたかは、覚えていない。
何を教えられたかも、思い出せない。

ただ一つだけ、
確かに残っているものがあります。

それはずっと、自分の味方でいてくれたという感覚。

親とは、きっとそういうものなのだと思います。

揺るぎない愛に育てられて、
気づけば今度は、
誰かを守ろうとしている。

そんなふうにして、
家族はつながっていくのだと思います。

子育てには、終わりがあります。

あんなに手をかけていた毎日が、
いつの間にか必要なくなって、
少しずつ、自分の手を離れていく。

嬉しいはずなのに、
どこかぽっかりと寂しくて——

きっと多くの方が、
そんな気持ちを経験するのではないでしょうか。

でも——

親であることに、
終わりはないのだと。

家族であることも、
ずっと変わらないのだと。

そばにいなくてもいい。
毎日話さなくてもいい。

それでも、
「何かあったら帰れる場所がある」
そう思えるだけで、
人は前を向いて生きていけるのだと思います。

俺は、お前たちの犠牲になんてなっていない。

そう言えるくらい、
一緒に過ごした時間は、
すべてが愛おしく、
かけがえのないものでした。

だからこれからは、
手を引くことはできなくても、

少し後ろから、
そっと見守るくらいが、
ちょうどいいのかもしれません。

帰ってきたときに、
「おかえり」と言える場所であること。

それだけで、
十分なのだと思います。

そして私は、
そんな場所を、
ひとつでも多くのご家族に届けられるように、

今日もまた、
家をつくっています。

感謝。