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POST:井坪 寿晴 2026.08.14
帰る場所
皆さんこんにちは、社長の井坪です。
お盆休みに入り、
会社も少し静かになりました。
いつもなら聞こえる工場の音。
事務所を行き来する足音。
現場へ向かう車の気配。
そういうものが少なくなると、
ああ、みんなそれぞれの場所へ
帰っているんだなと思います。
お盆というのは、不思議な時間です。
今いる人と過ごす時間でもあり、
もう会えない人を思い出す時間でもある。
我が家では、
母の指導のもと、
迎え火と送り火を焚いています。
孫たちには、こう言いながら。
「じいじとひいばあちゃんが
帰って来れんと困るでな」

火を焚くと、
孫たちは少し神妙な顔になります。
よく分かっていないかもしれない。
でも、何か大事なことをしている、
ということは感じているようです。
この時、
私が幼い頃に亡くなった
祖父のことは言いません。
その前の先祖のことも。
理由は単純です。
知らないから。
会ったことがない。
声も覚えていない。
どんな顔で笑ったのかも分からない。
だから、火を焚きながら
呼ぶことができない。
そう思った時、
少しだけ考えました。
亡くなるということと、
忘れられるということは、
別のことなのかもしれない。
父のことは、今もはっきり思い出せます。
笑い方も、声も、
「ヘビのいる家はいい家だ」と
豪語した顔も。
祖母のことも、
母が話してくれるから、
その輪郭はまだ残っている。
でも、祖父のことは分からない。
関わりのある記憶がないから。
亡くなっても、
思い出せる記憶があるうちは、
その人はまだ、
どこかにいるのかもしれません。
忘れられた時が、
本当にいなくなる時なのかもしれない。
だとしたら、
迎え火を焚くということは、
思い出すということなのだと思います。
「帰ってきてね」と火を焚くことで、
自分の中にある記憶に、
もう一度会いに行く。
お盆は、
亡くなった人が帰ってくる日だと
言われています。
でも本当は、
生きている私たちの方が、
記憶の中の誰かに
会いに行く日なのかもしれません。
今年も静かに、火を焚きます。
帰ってくる人がいる。
思い出す人がいる。
そして、それを待つ家がある。
家というのは、
生きている人だけのものではないのかもしれません。
感謝。