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POST:井坪 寿晴 2026.04.10
「ありがとう、が残った」 ——21歳の自分へ
皆さんこんにちは、社長の井坪です。
今週の月曜日、朝礼の様子を取材してもらいました。
カメラが入ると分かった瞬間、
あちこちでボタンを締め直したり、
襟元を整えたりする社員たちの姿があって。
思わず、
「毎週来てもらおうかな」
なんて、からかってしまいました。
でも——
少しだけ整った朝は、やっぱり気持ちがいいものです。

その後、入社6年目の女性大工、
北原理紗さんからインタビューを受けました。
取材のはずが、
いつの間にか対談になっていて。
こういう時間が、一番いい。
「井坪工務店は“ありがとう”を大切にしていますが、
なぜこの言葉なんですか?」
そう聞かれて、
少し昔を思い出しました。
「理紗さん、いま何歳?」
「24歳です」
そうか——と思いながら、
自分が21か22の頃の話をしました。
あの頃の私は、こんなことを言いました。
「この仕事を続けても、
仮に親父みたいになれたって——
休みもないし、家に帰っても仕事ばっかり。
全然楽じゃないし、楽しくない」
今思えば、
ずいぶん生意気なことを言いました。
先代は、それを黙って聞いていました。
そして、少し笑って——
「そうか〜、そう思うか」
それから、一言だけ。
「でも俺は、
ありがとうと言われる仕事をしとるぞ」
説明は、なかった。
説教も、なかった。
それだけでした。
返す言葉が出なかった。
恥ずかしくて、悔しくて——
少しだけ、泣けました。
この仕事が苦しいだけじゃないことは、
本当は分かっていたんだと思います。
でも、それを認めるほど、
あの頃の自分は素直じゃなかった。
あれから——
25歳で専務に。
35歳で社長になりました。
会社の理念の真ん中に置いたのは、
「ありがとう」という言葉です。
立派な言葉でも、難しい話でもない。
ただ、
あの日の一言が残っているだけです。
話を終えると、理紗さんが言いました。
「私も、その“ありがとう”があるから続けられています」
思わず、顔を見合わせて笑いました。
「同じだね」って。
体の大きさも、時代も違う。
それでも——
ここに立っている理由は、同じでした。
報酬でもなく、条件でもなく。
最後に残るのは、
誰かに言われた、あの一言。
21歳の自分も、
24歳の理紗さんも、
たぶん同じ場所に立っている。
時代が変わっても、
人が仕事に求めるものは、
そう変わらないのかもしれません。
今日もどこかで、
誰かの「ありがとう」が生まれている。
——たぶん、あの頃の自分も、
それに救われていたんだと思う。
この仕事も、
なかなか悪くない。

その一言を、
今日は仲間たちに手渡してきます。
感謝。